訪れたスポット
1.立川アメリカンビレッヂ
2.旧在日米軍立川基地(旧立川飛行場、キャンプ・フィンカム)
3.砂川平和ひろば
太平洋戦争に敗れた日本は、占領軍として上陸した連合国に、国内の主要軍事基地を接収された。
関東では横田飛行場(東京都福生市など)、キャンプ座間(神奈川県座間市など)、厚木海軍飛行場(神奈川県綾瀬市など)、横須賀海軍施設(神奈川県横須賀市)などがよく知られている。

そのうちのひとつが立川飛行場だった。
極東航空資材司令部(Far East Air Materiel Command)、その頭文字「FEAMCOM」を取り、往時の米兵たちはフィンカム基地と呼んだらしい。

近年、都市としての存在感を高めている東京都立川市。
JR東中神駅(東京都昭島市)からJR立川駅の北側にある広大な土地には、立川広域防災基地が整備されている。映画『シン・ゴジラ』でも話題になったが、首都圏で大規模災害が発生したときに、首都機能をバックアップできるシステムが作られている。

立川は、多摩地域で特に成長著しい都市だ。グランデュオ、ルミネ、伊勢丹、高島屋と国内屈指の超一流デパートのほか、近年はIKEAやららぽーとなどのメガ商業施設も乱立する。シネフィルには、爆音上映でおなじみの映画館『シネマシティ』も有名だろう。

しかし、40年前まで、このあたりは米軍基地だった。
立川飛行場が全面返還されたのは1977年。
梶芽衣子、安岡力也主演の映画『野良猫ロック セックス・ハンター』では、1970年代の返還前の立川基地の様子が活写されており、なかなか興味深い。あくまで物語のなかではあるが、とにかく治安が悪くて笑うほどだ。

そんな時代の基地の町感を味わえるのが、昭和記念公園の北側にある立川アメリカンビレッヂだ。
日本国内とは思えないほどの緑の芝生が眩しい広い土地に、米軍ハウスがずらりと並ぶ。
新たに建て直されたものも多いが、築50年前後の米軍ハウスもいくつか残っている。



あちこちに「私有地につき立入禁止」と貼り紙があるが、私有地であれば当然だろう。
閑静な住宅街に、関係のない人が突然ワラワラと集まってきたら、たしかに住民たちは困惑する。
ただ、付近を静かに散歩するくらいは許してくれる……のではないか。

アメリカ文化を好む者、芸術家、デザイナー、ヒッピーの成れの果て、基地に勤める士官などが住んでいるという。駐留軍人軍属私有車両を意味するYナンバーもよく見かける。この地を訪れたのは、ちょうどクリスマス前とあり、住宅街の軒先にはサンタ帽をかぶった人形などが飾られていた。

立川アメリカンビレッヂの周囲には高齢者向けの高級マンション、大山団地などがあり、この上砂町と隣接する砂川町を合わせると人口は3万人弱にもなる。

砂川といえば、砂川闘争が有名だ。立川アメリカンビレッヂから昭和記念公園、陸上自衛隊立川駐屯地のフェンス沿いに歩いていくと、約900mの滑走路が見えてくる。

さらにもうちょっと歩くと、もうひとつ別の滑走路が見える。視界の果てまで分厚いアスファルトで覆い尽くされているのは、フィンカム基地こと旧在日米軍立川基地の滑走路の跡だ。
このあたりは国有地と私有地が複雑に入り組んでいる。旧滑走路の一部と森林は、私有地のようだ。


この旧滑走路を舞台にした作品はいくつかある。花村萬月の初期の短編『タチカワベース・ドラッグスター』もそのひとつ。主人公のテツオが怪物ハーレーを駆ったのは、ここではないのか。


旧在日米軍立川基地の対面に、『砂川平和ひろば』はあった。
シャッターの貼り紙に「砂川闘争写真・資料展示」とある。初見で飛び込むにはそこそこ勇気がいったが、なかの人に声をかけると、「どうぞ、ここに名前を書いて」と展示室に招き入れてもらった。
12畳ほどの広さの展示室には、砂川闘争関係の資料が所狭しと並べてある。
ノートに名前を記帳すれば、無料で閲覧できるそうだ。



展示室は、反基地運動を中心とする強めの主張で埋め尽くされる。
当時の住民運動の写真のほか、「砂川町 団結 反対同盟」と書かれたムシロがあった。
普段の生活ではあまり見ることのない「団結」という文字に、正直やや気圧される。

建物の裏手には、「平和之礎」と書かれた石碑があった。裏手に回ってみたが、1975年の建立にしては劣化がひどく、そこに刻まれた文字はかすれて読めなかった。
交通アクセス
電車:西武鉄道武蔵砂川駅(東京都立川市上砂町)


