訪れたスポット
1.羽村取水堰
2.玉川上水
3.神明緑道
4.横田基地
東京都には、鉄道会社が20社、路線は85本、鉄道駅は655ヵ所もあるそうだ(2020年時点)。
これだけ鉄道が発達した都市は、世界にも類がなく、もちろん多摩地域においても、A地点からB地点までの路線はひとつじゃない。


たとえば、八王子から新宿に向かうとき、ルートの選択肢はいくつもある。
最速は中央線特別快速。楽なのは中央線ローカルや京王線。八高線から西武線を乗り継いでも行ける。途中どこかに立ち寄るときは、東京メトロや小田急を利用しても、極端な遠回りにはならない。



よく「おのぼりさんが新宿駅で迷った」なんて話を聞くが、東京生まれヒップホップ育ちだって、Yahoo!乗換案内アプリを見なきゃ、目的地にはまず辿り着けん。それどころか、読めない駅名が無限にある。舎人駅(読めない)、馬喰町駅(読めない)、東雲駅(読めない)、福生駅(読めない)、糀谷駅(読めない)。ワシらたまたま土地勘があるから読めるだけで、普通は読めない。路線もめちゃくちゃあって、駅もめちゃくちゃある。複雑すぎてわけわからん。そうだろ?


前置きが長くなってしまった。
これほどまでに鉄道網が発達した東京都にも、実はまだ鉄道が通っていない自治体がある。
日の出町、檜原村、そして意外にも武蔵村山市がそうだ。


武蔵村山市は、武蔵野台地にある人口7万人のベッドタウン。
北から順に、青梅街道、新青梅街道、江戸街道が市の東西を走る。 都内最大のイオンモールむさし村山店、元々陸軍病院として創設された村山医療センターを擁し、かつてはマーチやセドリックなどの名車を生産した日産自動車村山工場(2004年閉鎖)も抱えていた。
たしかに車社会ではあるが、鉄道が1本も通っていないのは意外だった。



前置きが長くなってしまった(2度目)。
そんな武蔵村山市に、大正から昭和初期にかけて、軽便(けいべん)鉄道が走っていた。
Wikipedia名誉教授によると、軽便鉄道とは「一般的な鉄道よりも規格が簡便で、安価に建設された鉄道」とある。


大正から昭和のはじめにかけて、都民の水源を確保するため、狭山丘陵の谷間に村山貯水池(多摩湖)、山口貯水池(狭山湖)が建設された。そのとき、武蔵野台地の西部を流れる多摩川の羽村取水堰(羽村市)から導水管を延ばし、また、この軽便鉄道で砂利などの資材を運んだそうだ。



羽村取水堰(東京都羽村市)と山口貯水池堰堤(埼玉県所沢市)を結んだことから、通称『羽村・山口軽便鉄道』と呼ばれた。
あくまで資材を運ぶための工事用軌道だが、東京都立図書館の資料によると、区間距離は12.6km、軌間(レールの間隔)2ft。最盛期にはトロッコ450両、ディーゼル機関車6台、ガソリン機関車28台が運用されたそうだ。そして山口貯水池(狭山湖)が完成した1933(昭和8)年にいったん廃線となり、その後、米軍による東京空襲に備え、1943(昭和18)〜1944(昭和19)年に堰堤のかさ上げ工事をしたときに、一時的に再利用された歴史があるという(出典)。


前置きが長くなってしまった(3度目)。
羽村・山口軽便鉄道は、現在もその痕跡を見ることができる。
Googleマップ、Googleアースを見ると、羽村取水堰から山口貯水池まで(途中横田基地で途切れるが)、ほぼ一直線の遊歩道/自転車道が整備されているのがわかる。
その地下には、多摩川から多摩湖、狭山湖へと流れ込む、現役の導水管が延びている。


前置きが長くなってしまった(4度目)。
今回は、その廃線跡をのんびり散歩してみようと思い立った。
なんとなんと、三部作ですよ奥さん。
(区間距離12.6kmを1回で歩くのはダルいため、3回に分けた)
次回ご期待ください。わたしヤル気、元気、イワキです!!
交通アクセス
電車:JR羽村駅(東京都羽村市羽東)
車:国道16号を羽村(横田基地)方面へ
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