訪れたスポット
1.野山北公園自転車道
東京の鉄道空白地帯である武蔵村山市に、昭和初期まで鉄道が走っていた。
『羽村・山口軽便鉄道』は、羽村取水堰から、多摩湖と狭山湖をつなぐ廃線だ。遺構らしきものは狭山丘陵の山道にわずかに残るのみだが、武蔵村山市内の一直線の道筋にも、当時の面影をうかがうことができる。

その①では、羽村取水堰から横田基地まで歩いた。その②では、廃線跡に整備された野山北公園自転車道を、トンネル群の手前(都道55号の交差点)まで歩いてみる。約3kmの道のり。散歩にはちょうどいい距離だ。

Googleマップで廃線の武蔵村山市側の開始地点を確認すると、IHI瑞穂工場のフェンス前から歩けるらしい。しかし現地を訪れると、その道は鋼鉄のゲートで塞がれていた。どうやら私有地だったようだ。


野山北公園自転車道は、廃線跡を整備した、市内を東西に横切る自転車道だ。
地面に凹凸があり、車止めがあり、また歩行者も多めなのでロードバイクには向かないが、クロスバイクでポタリングするには最高だ。沿道には、約300本の桜が植えられている。今はつぼみも芽吹いていないが、春は満開の桜でさぞ美しいだろうと想像させる。

歩いたのは、ちょうど地元の小中学生の下校時間にあたる頃だった。
背後から、自転車に乗ったチビッコが猛スピードで迫ってくる。さすが有名暴走族を生んだ土地である。三多摩に生まれたチビッコは、幼少期から“スピードの向こう側”に魅せられる運命にあるのだ。
チビッコは、こちらがカメラを持っているのに気づいたらしく、追い抜きざまに 「カシャカシャおじちゃんだ。やーい」とからかってくる。このワルガキども(笑)。やーい、なんて久しぶりに聞いたぞ。しかし、まあ、おじいちゃんと呼ばれなかっただけでも、おれは武蔵村山市民に感謝すべきだろう。

道沿いには、軽便鉄道の歴史を語る看板が設置され、休憩を挟みながら歩ける。途中にベンチもある。
軽便鉄道で建築資材を運んだこと。昭和初期まで使われたこと。当時最新鋭のディーゼル機関車がトロッコを牽いたことなどが子細に説明されており、前回のおさらいをしながら歩いた。
看板の写真から推測するに、導水管は、この自転車道の地中5〜6mに埋設されているようだ。




残堀川と交差するあたりに、「残堀砕石場跡地」と書かれた杭が打ってある。
羽村から運ばれてきた岩や砂利を、用途に合わせて、ここで砕いたのだという。雑木林の向こうにコンクリートの遺構らしきものが見えたが、水道局が管理する土地で「立入禁止」の看板があったため、今回はそれ以上は近寄らないことにした。



野山北公園自転車道では、カブトムシ♂がデザインされた車止めをよく見かけた。後日気になってGoogleで調べてみたのだが、そこまでカブトムシを推す理由がわからない。




青梅街道と交差する手前で、進路は北東に大きく曲る。
そこに広がる閑静な住宅街に「ちかん変質者出没注意」と看板があった。

郊外の農道なんかを歩いていると、道端に「変質者に注意」と書かれた看板を見かけたりする。
畑ばかりで人通りがないのに、わざわざ注意喚起しなきゃいけないほど変質者は出ないだろう……と意地悪なことを思ったりするが、いやいや、ひと気がないところほど危険なのだろう。

写真を撮ろうと近づくと、その看板に何か違和感を覚えた。
よく見ると、「ちかん」の「ん」の字のあたりに生理用ナプキンが貼りつけてあった。
この程度の悪趣味な悪戯くらいじゃおれは1mmも動揺しないが、今回ばかりはグッと覗き込んだ瞬間にその存在に気づいたため、思わずのけぞるほどギョッとしてしまった。未使用でよかった。もし使用済みだったら、おれは腰を抜かしてその場にヘナヘナと座り込んだだろう。
カシャカシャおじちゃんになって写真を撮っていると、ふと背中に視線を感じた。ハッと背後を振り返り、視線の出どころを探すと、歩道の脇から30手前くらいの痩せた女がこちらを見ていた。
違うんだ、これはおれじゃないんだと心のなかで言い訳しながら、逃げるようにその場を立ち去った。

自転車道と都道55号が交差するあたりで、ルートその②はいったん終わり。
この先には、自転車用のトンネル群がある。
狭山丘陵の山道を抜ければ、その向こうに多摩湖と狭山湖が見えるはずだ。次回その③では、トンネル群から多摩湖と狭山湖を目指す。
交通アクセス
車:新青梅街道を瑞穂(IHI瑞穂工場)方面へ(※付近にコインパーキングなし)
前回の記事
【羽村・山口軽便鉄道】東京都の鉄道空白地帯、武蔵村山市にある廃線跡を歩く/その① 神明緑道(羽村取水堰〜横田基地)
次の記事
【羽村・山口軽便鉄道】東京都の鉄道空白地帯、武蔵村山市にある廃線跡を歩く/その③武蔵村山トンネル群(横田トンネル〜狭山湖)


