訪れたスポット
1.多磨霊園

死んだ祖父は、若い頃に、麹町の東條會館で写真技師の修行をしたそうだ。
96歳まで生きた祖母に、そんな話を聞いた。
昭和の文豪、三島由紀夫は、東條會館でたびたび写真を撮った。
昭和45年10月、市ヶ谷駐屯地で自衛隊に決起を呼びかける1ヶ月前にも、楯の会のメンバーと記念写真を撮っている。


多磨霊園には、三島由紀夫の墓がある。本名は平岡公威。
楯の会学生長の森田必勝は、三島の介錯に3たび失敗している。
最後のひと太刀は、剣道の心得があった古賀浩靖が振るった。


写真週刊誌が乱立した昭和59年、『FRIDAY』の創刊号に三島の生首写真が掲載された。
後年、何かでそれを見て、口を半開きにした三島の最期の顔がまぶたに焼きついていた。
葬儀の前には、切断された首と胴体はしっかり縫合され、東條會館で撮影した記念写真と同じように楯の会の制服が着せられたそうだ。
その彼がここで眠っている。

多磨霊園は、大正12年、いまから100年ほど前に作られた。
当初は利用者が少なかったが、昭和9年に東郷平八郎が埋葬されたことで、たちまち人気が出たそうだ。墓地に人気不人気があるなんて知らなかった。


名誉霊域に埋葬された東郷平八郎、山本五十六、古賀峯一の連合艦隊司令長官トリオを筆頭に、阿南惟幾、井上成美、児玉源太郎、高橋是清、西園寺公望、平沼騏一郎、山下奉文など歴史の教科書でしか見たことがないビッグネームが眠っている。その名前の重さ、マジ半端ねえ。
私の足取りは軽い。

話を戻して三島由紀夫。
墓石は艶めかしい。その眼光の鋭さたるや、マジ半端ねえ。
正面からねめつけてくる。
三島は163cmの小柄な男だったそうだが、後楽園のボディビル・センターで鍛え上げられた肉体は強靭。まるで石のように硬い。
誰だお前は。何しに来やがった。そんな風にいわれた気分だ。







著名人の墓を訪ねるのはいい。
ただ、もうずっと前に死んだ写真屋の祖父。10年前に老衰死した祖母の墓参りはどうしたといわれれば、こちとら苦笑いするしかない。
次の週末にでも、久しぶりに墓掃除に行ってみようと思った。そこはいつかたぶん私が入る場所なのだ。
交通アクセス
電車:西武線多磨駅(東京都府中市紅葉丘)


