【白い和服の幽霊が出る!?】下ネタ落書きだらけの吹上トンネル群を歩く

東京都

訪れたスポット
1.旧旧吹上トンネル(明治トンネル/旧吹上隧道/古吹上トンネル)
2.旧吹上トンネル(昭和トンネル)
3.新吹上トンネル(平成トンネル)

大学を中退した20歳の頃。1年半ほど何もしない時期があった。
すぐには就職できなかったから仕事もないし、かといってバイトはダルい。特に夢も目標もない。
毎日何もすることがない……。ひたすら何もすることがない……。何もすることがない……。
だからというわけじゃないが(だからというわけなのだが)地元の古い仲間を誘い、夜な夜な車であちこちを走り回った。それこそガソリンをひしゃくで道路にぶち撒けるように。目的地もなく無意味に。仲間が運転するホンダ・オデッセイに乗り込むと、助手席の窓を小さく開け、そのうち話すこともなくなり、ただひたすら国道20号を流し、夜風を浴びているだけの多摩ミッドナイト。
だってほかに何もすることがなかったんだもん。懐かしいわあ……。

新、旧、旧旧とすべてのトンネルを歩いてもその距離は3kmほどだ。アップダウンがあるので、多少時間が取られるが、それでも1時間強もあれば踏破できる。

夏の夜のドライブといえば、昔から心霊スポット巡りが定番だ。
多摩地域には、有名な心霊スポットがいくつもある。
ただ、そもそもが人口420万を抱える超巨大ベッドタウンなので、どこに行っても住宅地や繁華街が近い。心霊スポットそのものが夜景のきれいな公園だったり、ただの駐車場だったり。そんなところを訪れても全く雰囲気が出ないわけですよ。
より強い刺激を求めるなら、田舎のほうにある暗く静かな心霊スポットを目指すことになる。
奥多摩の先にある花魁淵(山梨県甲州市塩山)、埼玉や神奈川の廃ラブホ、廃病院なども巡ったが、現地で不良グループにかち合うとそれはそれで怖い。ホームレスが住んでいたりもする。地元住民に通報され(騒げば当然ですね)、警察のお世話になる可能性もある。
安牌なのは、付近に住宅の少ない、八王子の小峰トンネルや青梅の吹上トンネルだった。

新吹上トンネルの成木口側には、「青梅街道発祥の駅」と看板にうたわれた割烹料理屋がある。江戸時代、江戸城再建にあたって、このあたりの青梅の成木、小曽木地区から江戸城に向けて、御白土(石灰)が運ばれたのだという(小平市のHPより)。吹上峠のふもとは、馬を休ませるための重要な場所だったのだ。
お地蔵さんの背後に見えるのが、平成時代に作られらた新吹上トンネル。成木地区には大規模な砕石場が点在しており、普段からダンプカーなど大型車の往来が激しいのだ。そのためか、新トンネルは全長604m、幅m、高さ6.3m(2車線)と大きな作りになっている。

青梅の吹上トンネル群は、多摩地域でも屈指の心霊スポットだ。
成木街道(都道県道53号)の起点近く(黒沢・成木間)にある。
古くから交通の要所だったようで、江戸時代には切通しが作られ、明治37年には東京で初となる旧旧吹上トンネル(旧吹上隧道/古吹上トンネル)が開通した(現在は閉鎖)。
やがて車時代が到来し、昭和28年に旧吹上トンネル(現在は徒歩/自転車専用)。
そして大型車の通行を支えるべく、平成5年には全長604mの新吹上トンネルが開通した。
現在、吹上峠には、旧旧、旧、新と3つのトンネルが隣接して存在しているのだ。

旧道(旧トンネルに向かう道)を成木地区から登る。現在は歩行者と自転車のみが通行できる。昔はここをダンプカーやバスが通っていたのだ。

なかでも幽霊が出るとされるのは、いちばん古い旧旧トンネルで、白い和服姿の女の幽霊が出るというウワサがある。これについては『週刊女性』の記事「最恐心霊スポットを徹底取材「吹上トンネル」で聞こえる幼子の泣き声と悲しい記憶」が詳しい。
「終戦直後、旧旧吹上トンネル黒沢口側の手前に小さな居酒屋」があり、「そこに住むおばあちゃんとお嫁さんが(強盗に)殺され」るという事件が起きたそうだ(同記事より)。白い和服姿の幽霊が出るというウワサは、その事件が元ネタのようだ。

今回の散歩の目的は、明治時代に作られた旧旧吹上トンネル。そして昭和時代に作られた旧吹上トンネルだ。

まずは旧トンネルを歩いた。
実は、この旧トンネルに「幽霊の元ネタ」的な話はない。
とはいえ、こちらもそれなりの雰囲気があり(都道53号からアクセスがよく、山道を歩く必要がある旧旧トンネルに比べてロケしやすいという理由で)、昭和や平成の時代には、心霊番組などでさかんに取り上げられたほか、最近ではホラー映画『犬鳴村』のロケ地にも選ばれたそうだ。映画を見ると、たしかに旧トンネルで撮影されている様子がうかがえる。
幼子の鳴き声が聞こえるという話もあるようだが……果たして……。

根元から倒されたカーブミラー。地面が崩れたのか、あるいは誰かがいたずらで倒したのか。どうしてこうなったのかはわからない。
ガードレールの落書き。「まんじる」と読むのだろうか。そうとしか読めない。
旧道の脇に放置されたゴミ。空のペットボトル、空き缶、タバコ、エンジンオイル、お菓子の包み紙、サンダルなどがぶち撒かれていた。我々のレベルなどまだこんなものだ。

成木八丁目の交差点の脇から、峠道(旧道)が延びている。車止めを避けて進むと、左手にお地蔵さん。その向こうにヘアピンカーブがひとつ。落ち葉が積もった坂道をよちよち歩き、少しずつ高度を稼ぐ。根元から折れたカーブミラー、苔むした道路標識、歪んだガードレールの落書き、肝試しで訪れた人たちが残したと思われるゴミ……などを見かけたが、道自体は管理されている。

旧吹上トンネル(成木口側)。新トンネルも、歩行者/自転車は通行できるが、暗いうえに排気ガスが臭うので、(特に明るい時間帯は)こちらの旧トンネルを通行する人は多い。
現在は昼光色の蛍光灯(LED灯?)が設置されている。昔はこれが確かオレンジ色のライトで、もっとおどろおどろしい雰囲気があった(ように記憶している)。
ここからはIQゼロの落書きオンパレード。ポップなマークも描かれている。ひどい。
ストレートすぎる表現で、何ひとつ工夫がない。ただそれだけ。ひどい。
「こ」の字を若干強調するような工夫がうかがえるが、なぜ「こ」だけ強調しようと思ったのか意味がわからない。ひどい。
定番の落書き。なぜ人はこの文字列を落書きしてしまうのか。書けばパコれると思うのだろうか。ひどい。
公共のトンネルは、やりたいプレイを祈念する場ではない。ひどい。
ちょっとテクニックがあり、アートっぽい雰囲気を醸し出しているぶんだけ逆に違和感がある。ひどい。
足元は、天井から滴る雨水に濡れ、場所によっては泥濘んでいる。歩くたびに砂利が擦れる「ザッ……ザッ」という音がトンネル内に響き、ふと怖くなって、時折背後を振り返ってしまう。

旧トンネルのなかは落書きが目立つ。下ネタのオンパレードで、もっとまともな落書き……という表現はおかしいが、ほかに主張したいことはなかったのか。
もっとあるだろうよ、社会への不満とか。知らんけど(知らんなら黙ってろ)。
訪れたのは春前の乾燥した時期だったが、トンネルのなかはカビとホコリのにおいが充満し、天井からはポタポタと雨水が滴っていた。天井に蛍光灯はあるが、日中でもなかは真っ暗。
確かに、ここを夜ひとりで歩きたいとは思わない。

旧吹上トンネル(黒沢口側)。トンネルに近づくと、ひんやりした空気が肌を撫でてくる。近くに民家があるので、特に夜中ははしゃがないようにしたい。地域散策であれば、明るい時間帯に訪れたい。
旧道の擁壁には半円状の穴がいくつも開いている。不気味といえば不気味。これは水抜き穴の役割を果たしているのだろうか。よくわからない。

次は、旧旧トンネル(旧吹上隧道/古吹上トンネル)を目指す。
旧トンネルの北側(成木口側)にある脇道に入り、そのまま山道を進むと、足元に張られたワイヤー、倒木が行く手を阻む。ワイヤーをまたぎ、倒木を潜りながら、山道を10分ほど歩くと、果たして旧旧トンネルが現れた。

こちらは旧旧トンネルに向かうための廃道。冒頭の地図にも示したが、旧道(成木側)の途中にある(トンネルに向かって右側)。一切管理されていないので、散策するときは注意が必要だ。
足元に張られたワイヤー。これに足を取られると転倒するうえ、運が悪ければ脇の崖から転げ落ちる。絶対に走ってはダメ。足元に注意しながら一歩ずつ進む。
旧旧トンネルへと続く廃道は、倒木がそのまま意図的に放置されている。(事故があるといけないので)我々のような部外者には近づいてほしくないのだろう。
旧旧トンネルの北側は、鉄の波板で塞がれ、土砂で半分ほど埋められている。Wikipediaによれば、2009年に完全閉鎖されたようだ。これ以上進むことはできない。

先にも触れたが、旧旧トンネルは2023年現在閉鎖されている。その劣化ぐあいから察するに、今後も開かれることはないだろう。南側は私有地で、トンネルのかなり手前に立ち入り禁止のゲートがある。旧旧トンネルの姿が拝めるのは、この北側からのアクセスに限られる。
旧旧トンネルは、明治37年に開通した東京初の道路トンネルで、人馬専用だったそうだ(全長112m、幅3.3m、高さ2.8m)。明治37年(1904年)の開通から昭和21年(2009年)の閉鎖まで、105年の長きにわたり、このあたりの交通を支えた。
鉄のバリケードには、地元の有志が作ったと思われる手作りの説明書きがあり、当時の日本の土木技術がいかに優れていたかが繰り返し強調されていた。

地元有志が作ったと思われる手作りの説明書き。「最初の吹上隧道 人・馬専用の造り それにしても、日本の土木技術はすばらしかった」とある。
こちらの説明書きはほぼ退色してしまっているが、以下、判読できる範囲で。「旧吹上隧道 明治37年(1904)に完成されました。昭和33年(1958)この下に新らしい隧道(※判読できず)が作られて又その後平成5年(1993)現在の隧道(ずいどう)が、横に作られた。3回に渡って作るという非常に珍しい形です。日本の土木技術は優れてます。」(原文ママ)
旧旧トンネルは、壁面をレンガで固めている。よく見ると、ところどころ大きくひび割れているのがわかる。
封印されたトンネルの隙間に、カメラのレンズを潜り込ませてみる。壁面が割れ、崩落直前なのがわかる(あるいはすでに崩落しているのかもしれない)。今後、内部が一般に開放されることはまずないだろう。それは仕方ない。
旧旧吹上トンネルに向かう南側(黒沢側)の小道。ここへは、都営バス「黒沢」の脇にある小さな舗装路から入ってこられる。奥に民家が見える。付近は私有地や私道も多い。
旧旧トンネルに向かう旧旧道(ややこしい)は、このゲートで行き止まり。「私有地なのでこの先へは絶対に入らないように」なんて書かなくてもわかる当然のことなのだから、本来は書く必要すらないのだ(書いた)。
旧旧道に放置された古いトラック。昭和30年代だろうか、40年代だろうか。わたしには製造メーカーすらわからない。車内を覗き込むと、内装のすべてが朽ち果てていた。

地元の同級生と、ここに肝試しに来たのは、もうウン十年も前だ。
そういえばこんな感じだったっけか……。全く思い出せない。記憶に残っているのは、細道の向こうに見える旧トンネルの赤いライトだけ。ほかは何も覚えていない。
白い和服姿の幽霊は見なかった。もちろん幼子の鳴き声も聴こえなかった。
当時一緒に訪れた地元の同級生は、いま何をしているのだろうか(知らんがな)。
別に知りたくもない(知らんがな)。
仲間と誘いあって、夜中に肝試しをするようなことは、わたしの人生ではもうないんだろうなとふと思った(やったらええがな)。