【羽村・山口軽便鉄道】東京都の鉄道空白地帯、武蔵村山市にある廃線跡を歩く/その① 神明緑道(羽村取水堰〜横田基地)

東京都

訪れたスポット
1.羽村取水堰
2.玉川上水
3.神明緑道
4.横田基地

東京都には、鉄道会社が20社、路線は85本、鉄道駅は655ヵ所もあるそうだ(2020年時点)。
これだけ鉄道が発達した都市は、世界にも類がなく、もちろん多摩地域においても、A地点からB地点までの路線はひとつじゃない。

羽村取水堰(羽村市)から、青梅街道(都道5号)の武蔵村山市本町まで、歩道+自転車道が整備されている。これが羽村・山口軽便鉄道の廃線跡だ。今回は、羽村取水堰から横田基地まで(神明緑道)を歩いてみた。
散歩ルートにぴったりの神明緑道。住民がのんびり歩いていたり、地元の小学生や中学生の通り道になっている。レールなどの遺構はすでに撤去されており、鉄道っぽい痕跡はない。

たとえば、八王子から新宿に向かうとき、ルートの選択肢はいくつもある。
最速は中央線特別快速。楽なのは中央線ローカルや京王線。八高線から西武線を乗り継いでも行ける。途中どこかに立ち寄るときは、東京メトロや小田急を利用しても、極端な遠回りにはならない。

多摩川河口から約54km上流ある羽村取水堰。そのはじまりは1653年、玉川兄弟が陣頭指揮を執った羽村取水堰、そして玉川上水の開削にある。正面を流れる玉川上水。奥に見えるのが高さ25mのサージタンク。
江戸時代に玉川上水を開削した、玉川ラップブラザーズこと玉川兄弟の銅像。手前に座るのがMC清右衛門、奥に立つのがDJ庄右衛門。デビュー曲は自主制作の「TAMAGAWA魂」。玉川上水沿いは遊歩道が整備されており、これまた散歩に最適なので今度歩いてみよう。
羽村取水堰の桜並木の脇に、玉川上水第三水門がある。ここが導水管の起点で、多摩川の豊かな水を多摩湖や狭山湖に送っている。

よく「おのぼりさんが新宿駅で迷った」なんて話を聞くが、東京生まれヒップホップ育ちだって、Yahoo!乗換案内アプリを見なきゃ、目的地にはまず辿り着けん。それどころか、読めない駅名が無限にある。舎人駅(読めない)、馬喰町駅(読めない)、東雲駅(読めない)、福生駅(読めない)、糀谷駅(読めない)。ワシらたまたま土地勘があるから読めるだけで、普通は読めない。路線もめちゃくちゃあって、駅もめちゃくちゃある。複雑すぎてわけわからん。そうだろ?

羽村・山口軽便鉄道の起点にある遠江坂(とおとみざか)跡。戦国時代の豪族、大石遠江守がここに館を構えていたそう。写真はその近くにあるコンクリート造りの何か(漠然)。昔の倉庫なのか、大戦中に防空壕として使われたものなのか。
軽便鉄道の起点(羽村市)は住宅が数軒建っている。当時の駅?(資材置き場?)や廃レールの跡などは一切ない。近くに小さな神社があったが、軽便鉄道とは関係がない模様。

前置きが長くなってしまった。
これほどまでに鉄道網が発達した東京都にも、実はまだ鉄道が通っていない自治体がある。
日の出町、檜原村、そして意外にも武蔵村山市がそうだ。

堰から横田基地の手前まで、約1.8kmの一直線の細道が続く。地図を確認する必要がなく、ひたすらまっすぐ歩けばいいだけだから散歩コースとして楽ちん。
羽村市川崎地区あたりで青梅線が横切る。このあたりから道幅が狭くなり、裏道、散歩道という雰囲気が漂いはじめる。

武蔵村山市は、武蔵野台地にある人口7万人のベッドタウン。
北から順に、青梅街道、新青梅街道、江戸街道が市の東西を走る。 都内最大のイオンモールむさし村山店、元々陸軍病院として創設された村山医療センターを擁し、かつてはマーチやセドリックなどの名車を生産した日産自動車村山工場(2004年閉鎖)も抱えていた。
たしかに車社会ではあるが、鉄道が1本も通っていないのは意外だった。

加美平団地が見えてきたら、羽村・山口軽便鉄道の廃線跡は、ほんの一区画だけ福生市に入る。
団地の公園にある恐竜をモチーフにした遊具。一昔前は、団地の遊具といえば、高度経済成長期(あるいはドラえもんで出てくる公園)を連想させる横積みのドカンだったが、いまはそれも少なくなった。
共用倉庫の前に捨てられた自転車2台、そして軽自動車らしき車のバンパー。「ここに不要物を置かないで下さい」という注意書きが虚しい。捨てちゃダメ絶対。

前置きが長くなってしまった(2度目)。
そんな武蔵村山市に、大正から昭和初期にかけて、軽便(けいべん)鉄道が走っていた。
Wikipedia名誉教授によると、軽便鉄道とは「一般的な鉄道よりも規格が簡便で、安価に建設された鉄道」とある。

ゴミの不法投棄が多いのか、「ゴミを捨てないで」的な看板をよく見かける。加美平団地から先は、東京最古といわれる工業団地『神明台工業団地』に入る。デカい建物の隙間を歩く。
神明緑道を歩いたのは12月下旬。ツバキが咲いていた。めっちゃきれいやね。散歩中はそのあたりに咲いている花が気になったりするのだ。

大正から昭和のはじめにかけて、都民の水源を確保するため、狭山丘陵の谷間に村山貯水池(多摩湖)、山口貯水池(狭山湖)が建設された。そのとき、武蔵野台地の西部を流れる多摩川の羽村取水堰(羽村市)から導水管を延ばし、また、この軽便鉄道で砂利などの資材を運んだそうだ。

西多摩産業道路を越えたところにある包装資材メーカーの工場。地中にはいまも現役の導水管が通るため、廃線跡の上に建物を建てられない。写真だとちょっと見にくいが、廃線跡に沿ってトラック用の通路になっている。
西多摩産業道路にあった消火栓。多摩川から引いた水が勢いよく出そうじゃね? 昔むかしは、この先の道路で、週末になると各地から派手な改造車が集まり、明け方までゼロヨンレースを繰り広げていた。おおらかな時代というかなんというか。
横田基地内から逃げたという飼い猫捜索の貼り紙。

羽村取水堰(東京都羽村市)と山口貯水池堰堤(埼玉県所沢市)を結んだことから、通称『羽村・山口軽便鉄道』と呼ばれた。
あくまで資材を運ぶための工事用軌道だが、東京都立図書館の資料によると、区間距離は12.6km、軌間(レールの間隔)2ft。最盛期にはトロッコ450両、ディーゼル機関車6台、ガソリン機関車28台が運用されたそうだ。そして山口貯水池(狭山湖)が完成した1933(昭和8)年にいったん廃線となり、その後、米軍による東京空襲に備え、1943(昭和18)〜1944(昭和19)年に堰堤のかさ上げ工事をしたときに、一時的に再利用された歴史があるという(出典)。

散歩の醍醐味のひとつだろうが、裏道っぽいところを歩くのは楽しい。神明緑道は一部未舗装路なので、雨後はぬかるみに注意。
水道用地と刻まれた境界杭(境界石)。これにどういう意味があるのか知らないが、下に配管が通っているのかなとか想像しながら見てた。

前置きが長くなってしまった(3度目)。
羽村・山口軽便鉄道は、現在もその痕跡を見ることができる。
Googleマップ、Googleアースを見ると、羽村取水堰から山口貯水池まで(途中横田基地で途切れるが)、ほぼ一直線の遊歩道/自転車道が整備されているのがわかる。
その地下には、多摩川から多摩湖、狭山湖へと流れ込む、現役の導水管が延びている。

動物公園通りを越えたところで、神明緑道は終点。これより先は、横田基地(米軍基地)の敷地になるため立ち入り禁止。Googleアースで確認すると、基地内もやはり廃線の上に大きな建物はないっぽい。
鉄条網の向こうが横田基地の敷地。羽村・山口軽便鉄道の散歩は、ここでいったん中段。次回は横田基地の向こう側(武蔵村山市)からのスタートだ。楽しみだー。

前置きが長くなってしまった(4度目)。
今回は、その廃線跡をのんびり散歩してみようと思い立った。
なんとなんと、三部作ですよ奥さん。
(区間距離12.6kmを1回で歩くのはダルいため、3回に分けた)
次回ご期待ください。わたしヤル気、元気、イワキです!!

交通アクセス
電車:JR羽村駅(東京都羽村市羽東)
車:国道16号を羽村(横田基地)方面へ

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