【羽村・山口軽便鉄道】東京都の鉄道空白地帯、武蔵村山市にある廃線跡を歩く/その③武蔵村山トンネル群(横田トンネル〜狭山湖)

東京都

訪れたスポット
1.武蔵村山トンネル群(横田トンネル、赤堀トンネル、御岳トンネル、赤坂トンネル、5号隧道)
2玉湖神社
3.狭山湖(山口貯水池/県立狭山自然公園)
4.多摩湖(村山貯水池)

前回(その②野山北公園自転車道/IHI瑞穂工場〜武蔵村山市本町)は、横田基地から都道55号線が交差するまでの約2.7kmを歩いた。今回は、その先のトンネル群を抜け、羽村・山口軽便鉄道の終点である狭山湖(山口貯水池)湖畔を目指す。片道約5.5kmの道のりだ。

都道55号線沿いにある横田トンネルの入り口。その由来を知らなければ、「なぜこんなところにトンネルが?」と思うほど、都道沿いに突然現れる自転車道。
横田トンネルの手前、横田児童遊園にある看板に、軽便鉄道のトンネル群の歴史が記されている。こちらは昭和4年、横田トンネルの建設工事中の写真。
こちらも「工事中」とあるが、トンネル内にトロッコが見えることから完成は近そうだ。現在の写真と見比べても、ちゃんと面影がある……ような気がする。

都道55号線は、ゆるいカーブを繰り返して狭山丘陵の窪地を下る。その丘陵の土手っ腹に、ぽっかり横穴が開いている。全高も全幅も、両手を伸ばせば届くほどの狭さだ。建築資材運搬用に掘られた軽便鉄道用のトンネル廃線跡が、現在は自転車道として活用されている。

トンネルに入った瞬間、薄暗い石の空洞で冷やされた空気が首の隙間から忍び込んでくる。あまりの寒さにブルッと震えるほど。トンネルには電線が通り、蛍光灯が暗がりを照らしている。防犯ブザーも設置されていた。
赤堀トンネルの上に、福島県にある推定樹齢1000年の三春滝桜の子孫樹が植えられている。
中藤公園から番太池をつなぐ御岳トンネル。番太池とは、江戸時代から利用されているこの地域の灌漑用の溜池だ。

廃線跡のトンネルは全部で6本ある。
これらのトンネル群は、起点の羽村方面から、横田トンネル、赤堀トンネル、御岳トンネル、赤坂トンネルと呼ばれる。当初は名前はなかったが、後年自転車道として利用されることが決まってから、地名にちなんで名付けられたらしい(出典)。5番目、6番目のトンネルは、それぞれ第5隧道、第6隧道と呼ばれ、そちらは現在東京都水道局の管理地にあり、立ち入ることはできない。

東京都水道局が管理する土地は、総じて立ち入りが厳しく制限されている。たとえば、同じく東京都水道局が管理する玉川上水も、羽村取水堰(羽村市)から暗渠化される浅間橋(杉並区)まで、高いフェンスで囲まれている。もちろん水辺に下りることはできない。上水やエネルギー系の施設は、そういうものなのかもしれない。

昭和初期に建設されたトンネルだけに、一部に大きなひび割れなどが見られる。そういえば中学校の頃の同級生に「裂け目を見るとちんこを入れたくなる」とのたまうやつがいた。おもしろいと思ってそういうことをいうやつだった。風のうわさで、二十歳を過ぎた頃にどこかの刑務所に入ったと聞いた。本当かどうかは知らん。もちろん連絡は取っていない。
天井から滲み出る雨水で侵食したらしいコンクリート壁。このトンネルが完成したのは昭和6年。約90年という歳月は、ただの雨水が堅固なコンクリート壁を溶かすほどの長さなのか。
トンネルのコンクリートの厚さは30cmほど。かなり老朽化が進んでおり、金属で補強された区間もある。

昭和初期に建設されたコンクリートのトンネル。あちこちひび割れがあり、天井の隙間から雨水が漏れ、壁や足元を濡らしている。地元住民の生活通路になっているほか、ロードバイク乗りやランナーにはそこそこ知られた道なので(写真からは寂れた印象を受けるだろうが)人通りはそれなりにある。

生け垣に放置された「ちかんに注意」の看板。看板マニアにいわせると、赤系の塗料は色あせてすぐに消えてしまうらしい。いわれてみれば、色あせて錆びた鉄のような色をした郵便局の軽バンを町中でよく見かける。

天井に設置された蛍光灯が、日中でも薄暗いトンネル内を照らしている。
トンネルは、夏期は夕方6時、冬期は5時にシャッターが閉められる。その理由は防犯対策のためだそうだ。
御岳トンネルの手前の生け垣に「ちかんに注意」と書かれた看板があった。前回、野山北公園自転車道を歩いたときにも、そんな看板を見かけた。このあたりはそれほど痴漢が多発する地域なのだろうか……と思ったが、そういえば、平成のはじめの頃、この多摩地域で日本全土を震撼させる凶悪事件が発生したのを思い出した。宮崎勤の連続幼女誘拐殺人事件だ。あの頃はあちこちにこんな看板があったっけ。看板の文字は色あせ、あれからかなりの歳月が過ぎたことを思わせる。

トンネルをずいずい進むと、狭山丘陵の自然が色濃くなっていく。狭山丘陵は水源保護のため、環境省により重要里地里山に指定されている。
番太池は、江戸時代から利用されている灌漑用の溜池。初夏から夏にかけてホタルがよく飛ぶそうだ。

御岳トンネルを抜けると、中藤という地域に出る。左手に見える番太池は、江戸時代からある灌漑用水池で、その昔は『御獄の溜井』と呼ばれ、付近の田んぼに水を供給していたそうだ。奥の住宅地には、仕出し屋、美容室、土建屋の事務所などがあった。ちなみに、番太池のフェンスにも「ちかんに注意」の看板があった。

こちらは赤坂トンネル。赤坂トンネルというと、首都高新宿線のそれを連想する人もいるだろう。しかし多摩っ子が思い浮かべるのはこっちなのだ。やったぜ。
自分の足音が響く、薄暗いトンネルを歩くのは、ちょっと怖くてちょっと楽しい。ちなみにネットでこのトンネル群を検索すると、「心霊」とかいうキャッチーな文字が踊ったりするが、そもそも夜間通行禁止だし、ただの噂です。
「平成維新」と壁に落書きがあった。明治維新は多くの血が流れた近代化改革だったが、平成維新は壁にスプレーで落書きするだけなのか。ずいぶんお手軽になったものだ。日本男児、今落とす天誅、切り捨てる魂腐った連中。
第5隧道より向こうは残念ながら立入禁止。藪漕ぎすれば第5隧道を巻いて廃線沿いを歩き、その先の第6隧道も見られるようだ。だが今回の散歩では止めておいた。

赤坂トンネルを抜けると、廃線は狭山丘陵の森に飲み込まれる。苔の生えたアスファルトが途切れ、第5隧道に辿り着く。ここを抜ければ、多摩湖西岸の水路に至るが、現在は鉄格子で封鎖されている。

山道を登りきると、旅荘赤坂の廃墟跡の内側に出る。しかし敷地と道路の間にフェンスがあり立ち往生してしまうので、かなり遠回りになるが都道55号に戻ったほうがいい。

いくつかの散歩サイトを確認すると、第5隧道の左手に巻き道があるとの記述があったが、その巻き道は藪漕ぎしないと通れないほどの木々に覆われていたため、いったん車止めのあった十字路まで戻り、そこから山道を登って多摩湖通りを目指す。息を切らせて丘を登ると、しかし多摩湖界隈で有名な旅荘赤坂というラブホテル廃墟の敷地に出てしまった。フェンスが張られているため、通常の手段ではその向こうの多摩湖通りには出られない。だが今回は知恵を使い、なんとか道路に出ることができた。

ここからは狭山丘陵の森のなかを歩くことになる。猛スピードの自転車も多いので、背後に注意して歩きたい。
住所は東大和市(東京都)だが、道路の管轄は所沢警察署(埼玉県)らしい。なかなか複雑なエリアだ。
写真左側は武蔵村山市の管理、右側は東大和市の管理とある。その右側(東大和市側)にある「ゴミを捨てないで」の看板には「武蔵村山市衛生協力会」と書いてある(混乱)。

多摩湖通りから都道55線を歩き、狭山湖を目指す。自治体の境目をまたぐエリアだけに、「ここからは武蔵村山市の管理」「ここからは東大和市の管理」「住所は東大和市だけど道路の所轄は埼玉県の所沢警察署」なんて注意書きが至るところにある。事件事故が起きたときは、いろいろトラブルがありそうな感じがする。

玉湖神社。東大和市が発行する別冊東大和市観光マップによると、「多摩湖のほとりにある玉湖神社(たまのうみじんじゃ)は、水神を祀る神社でした。昭和初期に当時の東京府水道局が中心となって建てたものの、戦後、諸般の事情により昭和42年に「御霊遷し」が行われ、神様がいない神社となりました」とある。
神のいない神社に残された殉職者之碑。碑の前には御神酒が入っていたらしい紙コップが捧げてあった。

森のなかの歩道を歩き、T字路を北側に向かえば、狭山湖(山口貯水池)まであとちょっと。西武ドームを右手に眺め、ラブホテルの前を通り過ぎると狭山湖湖畔に到着する。
道幅がやけに広いこの歩道が、軽便鉄道の廃線跡なのかなと思いを馳せながら歩く。

多摩湖、狭山湖界隈では、営業中の生きたラブホテルは珍しい。湖畔道路沿いのいまや廃墟の死んだラブホテルばかり目立ってしまう。ラブホテル行きたい(切実)。
手前には墓地。向こうには西武ドームが見える。子供の頃、屋根なしの西武球場に何度も連れて行ってもらったのに、当時の雰囲気はよく思い出せない。

狭山丘陵は、昭和中期から私鉄大手の西武鉄道が開発を進めている巨大観光地でもある。西武園競輪場、西武園ゆうえんち、西武園ゴルフ場、西武ドーム、狭山スキー場などを擁する。しかし昭和の景気のいい時代に比べると、もう人が集まらないのか、湖岸を走る都道55号線沿いにはラブホテルの廃墟が連なる。このあたりのラブホテル廃墟群を散策するのは、また今度の機会にしておこう。

県立狭山自然公園から狭山湖を眺めると、沖に取水塔が見える。紅葉の季節の夕焼けを、中望遠レンズで撮ったらきれいかもしれない。
狭山湖の護岸は遊歩道になっている。写真右手からは所沢市内のビル群を眺められる。
悪筆で有名な石原慎太郎だが、「五風十雨の味わい」と刻んであるのが読める。悪筆といえば、石原慎太郎、福島瑞穂が思い浮かぶ。
こちらは、昭和の時代の「高欄(手すり)と親柱(照明と避雷針用の塔)」だという(写真の説明書きより)

羽村の河原から運んできた資材を、どこに下ろしたのかはわからない。旅客用の鉄道駅ではないから、必要なところでトロッコを停めたのかもしれない。いずれにせよ、軽便鉄道は、狭山湖のこのあたりで終点となる。

今回の散歩では、多摩湖を望むことができなかったため、帰り道にちょっと遠回りして寄ってみた。
こちらはフェンス越しの多摩湖(村山貯水池)の眺め。多摩っ子の自慢のアースダムだ。

子供の頃、デカいブラックバスがいると噂を耳にした友人が、多摩湖、狭山湖のスロープから竿を出し、見事大物を仕留めたという武勇伝を吹聴していた。本当かどうかは知らない。今も昔も、東京都水道局が厳重に管理するこの貯水池は、釣りが厳しく禁止されている。
そんな時代もあったたねといつか話せる日がくるわ。

交通アクセス
電車:西武鉄道西武球場前駅(埼玉県所沢市上山口)

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